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2020.7.8

お墓

都立霊園とは

都立霊園とは

毎年1回公募される人気の都立霊園。特に人気の高い霊園では抽選倍率が何十倍になることもあるようです。今回はそんな人気の都立霊園の歴史と今について紹介していきます。

1. 都立霊園とは

都立霊園とは、東京都が設置した青山、雑司ケ谷、谷中、染井、多磨、八柱、小平、八王子の計8霊園の総称で、東京都の外郭団体である公益財団法人 東京都公園協会が管理・運営を行っています。総面積は約416万㎡で、このうち埋蔵施設の総面積は約180万㎡、使用者数約26万人、埋葬体数約121万体となっております。現在は雑司ケ谷については返還墓所等の再貸付は行っておらず、申込を行える霊園は、青山、染井、谷中、多磨、八柱、小平、八王子の7霊園となります。

2. 都立霊園の歴史

江戸時代には、遺骨は寺請制度により各寺院が付属の墓地に埋葬を行う形式が一般的でしたが、明治政府は明治7年6月、朱引(※)内での埋葬を禁ずるとともに「墓地取扱規則」を設け、青山神葬祭地ほか9か所を市民のための公共墓地として指定しました。これを受けて東京府は、東京会議所(現在の東京商工会議所の前身)に命じて、指定9か所のうち、青山、同立山、雑司ケ谷、染井、亀戸、谷中など8か所を造成、明治7年9月1日開設し、これに関するすべての事務を会議所に委任しました。
その後明治9年(1876年)に、墓地の造成、管理事務は会議所から東京府に引き継がれ、墓地の管理は、墓地の所在する区で扱うこととなりました。
(※)朱引:江戸幕府が江戸の範囲を示すため使った用語。地図上に朱線で囲った地域と示されたことに由来する。

明治22年(1889年)には、市町村制の施行に伴い東京市に移管され、同年5月に青山(立山を含む)、雑司ケ谷、染井、谷中、亀戸、澁谷の6墓地が市区改正設計(都市計画の前身)における公共墓地に指定されました。その後、明治から大正にかけての東京市街の急激な発展に伴い、既存の4墓地はほぼ全て使用許可済になり、また深川、亀戸、羽根沢(澁谷)、橋場の4墓地が前後して整理廃止されたため、新しい墓地を造成する必要に迫られることとなりました。これを受けて郊外三方面に墓地新設の構想が計画され、その第1号として大正12年(1923年)4月多磨墓地が開設されました。この多磨墓地は我が国古来の習俗を基本としながら、ドイツの森林墓地を参考にした、我が国初めての公園墓地です。

続いて昭和10年(1935年)7月に八柱霊園が千葉県松戸市に開設されました。(これを機に墓地の名称を霊園に改めました。)
昭和18年(1943年)7月都政施行により市営霊園は東京都に引き継がれ、全都民の需要をまかなうことになりました。その後昭和23年(1948年)5月には小平霊園が、昭和46年(1971年)4月には八王子霊園(全域芝生墓地)が建設され、都立霊園は計8ヶ所となり現在に至っています。

3. 現在の都立霊園

都内を中心に8箇所設置されている都立霊園。いずれの霊園も都内からのアクセスも良好で、毎年、ほぼ全ての区画が抽選となる人気の霊園です。以前は一般的なお墓の貸付がほとんどでしたが、現在では、多様化するニーズに応えるため、合葬墓地や樹木葬などの様々な墓地の貸付が行われています。

近年では、一つのお墓に多くの遺骨を一緒に埋蔵するという新しい形態の墓地である合葬式墓地(合葬埋蔵施設)を小平霊園及び多磨霊園に設置・供給し、現在小平の2基目を供給しています。2012年に誕生した都立霊園初となる樹林・樹木墓地が小平にはあります。費用は樹林型合葬埋蔵施設で1体あたり13万4,000円、樹木型合葬埋蔵施設で1体19万4,000円となります。特に樹林型の生前申込は約30倍の応募倍率となり毎年人気の施設となります。

もし都立霊園に興味を持たれた方は、東京都がホームページを開設していますので一度のぞいてみてはいかがでしょうか?
詳しくは、TOKYO霊園さんぽ