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お墓と埋葬文化の歴史

お墓と埋葬文化の歴史

皆様は、お墓というものがどの時代から建てられるようになったのか、そして亡くなった方の埋葬はいつから始まったのか、ご存知でしょうか。
お墓の形も埋葬の方法も、現代では様々なスタイルがありますが、亡くなった方のご供養をするという想いからお墓を建てたり埋葬をしたりすることは、どの時代でも変わらないことでしょう。
今回の記事では、お墓と埋葬文化の歴史についてご紹介いたします。

1. お墓とは

皆様がご存知の通り、お墓といえば、石塔や墓標を建て、故人を納めて供養するためのものです。お盆やお彼岸、命日など定期的にお墓参りに行くことで、故人の存在を忘れないようにする、もしくはご先祖様に感謝の気持ちを伝える大切な場としてもお墓はその役割を果たしています。
また、国王や皇帝など権力者が建てるお墓は、その偉業を後世に伝えるモニュメントとしての側面も持ち合わせています。有名なお墓として、日本の大仙古墳やエジプトのピラミッド、インドの霊廟タージ・マハルといったものがあげられます。

では、お墓を建てる文化が世界各国で共通しているかというと、実はそうではありません。
仏教の母国・インドでは、火葬したご遺骨を川や海に流すほか、遺体を火葬せずにそのままガンジス川に流す「水葬」が行われており、お墓は持ちません。
チベット高地では遺体を鳥に食べさせ天に還す「鳥葬」が、現地で暮らす人々の間では一般的な葬儀となっています。
また、日本国内でも、遺体を里山や河川に還す「自然葬」は古来より行われていました。庶民も現在のようなお墓を建てられるようになったのは、檀家制度(寺請制度)の始まった江戸時代中期頃といわれています。読者の皆様はすでにお気づきのこととは思いますが、最近“新しい供養のスタイル”としてテレビや広告でよく目にする「樹木葬」は、お墓の歴史に照らして考えると原点回帰であるといえるでしょう

2. 埋葬の起源

では、亡くなった方を埋葬するという文化はいつどこで発生したのでしょうか?これについては、化石やその痕跡の保存状態が良くないことから、現在まで正確にはわかっていません。ですが故人を供養するという行為には、故人の霊魂や死後の世界といったことを想像するような、高度な思考力を必要とします。このような思考力は、人類がその進化の過程で何千年も費やして手に入れたものです。そのため、猿人や原人のような進化の古い段階にあった人類は、現代の人々と同じように埋葬をしていたとは考えづらいとされています。

現在確認できる最も古い埋葬の跡は、ネアンデルタール人のものがよく知られています。洞窟内から何体もの埋葬された人骨が発見されたことをご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。生前に使用していたと思われる石器が副葬品として納められていたことから、故人を弔う目的で埋葬をしていたのではないかと考えられています。

なお、日本で確認できる最古の埋葬は縄文時代で、穴の中に故人の身体を折り曲げていたようです。これもやはり土器が副葬されており、同様に故人を弔うためのものであると考えられますが、この時代では石碑や墓標を建てる「お墓」の形式にはまだなっていません。次の項目では、日本のお墓の歴史をご紹介いたします。

3. 日本国内のお墓の歴史

3世紀から4世紀半ばまで続く古墳時代には、その名の通り「古墳」という形式の非常に大規模なお墓が登場します。ですが先述の通り、こういった古墳は王家や豪族のみが埋葬されており、いわば権力の象徴としてのお墓でした。一方、庶民のお墓の形式は縄文時代とほとんど変わらなかったようです。この古墳の建造ブームは、「大化の改新」の一環である“薄葬令”によって規制されることとなり、地方豪族が古墳を建てることはほとんどなくなったとされています。

平安時代からは仏教の影響により、貴族など一部の特権階級の間で火葬が取り入れられるようになります。また、鎌倉時代には仏教が庶民の間にも浸透し、貴族だけでなく庶民も火葬をするようになります。これにより、墓地はさらに小規模化しましたが、火葬後の遺骨は棺に納めて土中に埋めるのみで、まだ墓石や墓標も置かれていません。

そして江戸時代になると、再び土葬が主流となります。なぜ時代が逆行したのかは諸説ありますが、人口密度が高かった江戸では「火葬の際に出る煙と臭いに悩まされていた」からではないかとされています。
遺体は死に装束を着せた状態で棺に納められ、土中に埋葬し、さらにその上に土を盛って「土饅頭」を作るようになりました。武士のお墓には板塔婆や石塔婆が建てられていましたが、次第に庶民にもそれが広まり、卒塔婆や墓石をお墓の上に設けるようになりました。現代のお墓の礎は、この江戸時代に築かれたといえます。

さて、江戸時代といえば先ほど紹介した「檀家制度(寺請制度)」についても触れなくてはなりません。この制度について詳しくご説明すると記事を1本書けるほどの文章量になってしまいますので、簡潔な説明に留めますが、これは「どこかのお寺の檀家となるよう民衆に義務付ける」という制度です。この制度によって幕府は寺院を通して民衆を管理できるようになったことから、現代の「戸籍」にあたる役割を担っていたとされています。

明治時代には公営の墓地として青山墓地や天王寺墓地が開発され、宗教を問わない霊園も開かれるようになります。また埋葬方法についても、地価が高騰する都市部ではお墓の面積が多く必要となる土葬は次第に難しくなり、場所をとらない火葬が一般化し始めます。大正時代には各自治体が火葬場を設けましたが、未だ土葬が主流の地域もあったため、昭和初期までは火葬と土葬の割合は半々であったといわれています。

現代になると、伝統的な和型の墓石だけでなく、横に幅広い洋風の墓石も建てられるようになります。「○○家之墓」「南無阿弥陀仏」といった限られた文言しか彫刻できない和型の墓石に対して、洋型墓石は宗教や決まりごとにとらわれず、メッセージを自由に彫刻できることから人気を高めています。また、石のお墓を建てるにも管理料の負担に悩まされることや少子高齢化に伴う後継者不足の問題などから、管理料・後継者不要で永代供養付きの樹木葬も、お墓選びの際のメジャーな選択肢のひとつとなりました。

人々はその時代ごとに応じた、そしてその家族のライフスタイルに適したお墓を作ってきたといえます。しかしお墓を建てる目的の根底にある、「亡くなった方を供養したい」という想いはいつの時代も変わることはなかったはずです。 これから先の時代は、現代の自由な価値観をもとに、多様化する家族構成に沿ってお墓の形が変わりゆくことも考えられます。実際に、「両親のお墓が地元にあるけれど、子供にお墓の面倒をかけたくないから……」と墓じまいをして、樹木葬を選ぶという方もいらっしゃるようです。お墓探しは一生に一度あるかないかの大仕事です。ご自身にとってはもちろん、ご家族にとっても最適なお墓を選ぶことが重要になります。